バレンタインデー。
それは女が希望を、男が絶望を、バカップルが世間の白い目を全身に携えて街を闊歩する日。
そんな日の朝に、その少女は全身から溢れ出るほどの(実際ちょっと溢れてる)気迫を帯びつつチョコレートを湯煎していた。
当然火力は最大である。
名を雪乃原 児珠(すすきのはら こだま)。
渡す相手は唯一人。
愛しのひびき先輩に。
ありったけの愛を込めて。
その愛は何だか物理的な炎に近いものを出し始めていた。
空中に板チョコを数枚投げ、次々と正拳突きで粉々に砕いて鍋にチョコを追加していく。
もはや火力は中華料理用コンロのそれのようであった。
実際は普通の家庭用コンロなのだが、その前に立っている少女にコンロすら脅えているように見えた。
その日のこだまは、間違いなく地上最強の生物の1種だった。
「あ〜ぁ・・・遠恋ってのも大変やなぁ・・・」
自動ドアを抜け、みづきは朝の冬空を見上げた。
灰色の雲が一面を覆っている。
今日は雪になるだろう。
「ホワイトクリスマスならぬ、ホワイトバレンタインデーか・・・ええなぁ。
ウチも彼氏とラブラブしたかったなぁ・・・」
「あ、みづきちゃん。こんにちは」
声の方向に首を向ける。向ける前に主は分かっていたが。
「ん〜、ひびきか。まいど」
視線の先では制服(冬服)にマフラー姿のひびきが、みづきとみづきが今出てきた郵便局を交互に見比べていた。
「郵便局、行ってたの?貯金?」
「あのなぁ大阪人を即カネに結び付けんといてくれ。届けもんや」
「ごめんごめん・・・で、誰に?」
「あぁ、彼氏にチョコをな」
「え?」
10秒ほど静寂が続いた。
「・・・何素っ頓狂な顔しとんねん」
「みづきちゃん、彼氏居るんだ?」
「なんや、居たあかんのかい」
みづきが少し不満そうな顔をする。
「あ、いやそんなことは無いけど・・・ちょっとびっくりしたかな〜と・・・それより、チョコ送ったって?」
「そや。やっぱウチが居らんで寂しいやろうからな。チョコぐらい送ったろう思て」
「でも今日送ったんじゃ、もう遅くない?」
「は?速達って送ったその日の内に着くもんとちゃうんか?」
「いや、それは無理だと思うよ・・・」
「・・・あ〜・・・・・・まぁええか。そんじゃウチはタコヤキの仕込みに行くから。そっちも学校頑張りや」
「(いいんだ・・・)あ、うん。みづきちゃんも頑張ってね」
「おぅ、そんじゃ〜な〜〜」
適当に手を振りつつ歩き去って行くみづき。
それを控えめに手を振りかえしてしばらく見送ると、ひびきは今日がバレンタインデーだったことを思い出した。
「そういえば、すっかり忘れちゃってたなぁ・・・」
寒い日はえみの付き合いが悪い(家に帰ってコタツで丸くなりたいらしい)のもあって、
ここ最近はあまり寄り道して帰っていなかった。
家に帰っても無理矢理やらされる修行とお稽古事が待っているため、テレビもロクに見れない。
そうなると、そういった『些細な』イベントは記憶に残らないものである。
「せっかくだし、えみちゃんにチョコを買っていってあげよっか」
えみのこと、この時期限定のチョコなどをあげると、それはもう目を輝かせて喜ぶだろう。
その顔を想像しただけで、ひびきはちょっと幸せになった。
早速その足は、今居る場所から一番近いコンビニへと向かっていた。
と、ある顔を思い出す。
「・・・そうだ、あいつにも一応・・・」
「あ」
学校に着いて早々、ひびきは靴箱で一番会いたくない人物の姿を発見した。
かずまである。
できるだけ顔を合わせないよう、こそこそと自分の上靴を取りに行くひびき。
しかし、すり足で歩いたためにスノコで思い切り足を引っ掛けて派手につんのめった。
千華高校の靴箱前は昔ながらの木製スノコなのである。
おかげでかずまがこっちを向いた。
「お、おはよ・・・」
中腰の体勢のまま、苦笑いを浮かべつつ挨拶してみる。
「お〜〜・・・っはよ〜・・・」
何ともヤル気の無い返事が返すと、かずまは靴をもぞもぞと履き替え廊下の方へと歩いていった。
状況を把握するのに1分17秒を要した。
「え、ちょ、ちょ、ちょっと!!」
ひびきは過去最速のスピードで上靴に履き替えると、既に階段下まで歩いていたかずまの元に駆け寄った。
「あんた、なんか変なもの拾い食いしたの!?それとも新種の病気!!?」
心配の仕方が本気だった。
「っせ〜な〜・・・昨日新作の格ゲー徹夜でやっててねみ〜んだ・・・頭に響くから大声出すんじゃねぇよ・・・」
それだけ言うと、かずまは大あくびを1つしてボリボリと頭を掻きながら階段を昇っていった。
ひびきは思った。
付き纏われるのは嫌だが、それが急に大人しくなると本気で気持ち悪いと。
こだまは歩いていた。
ただ、歩いていた。
それだけで周りの人間は彼女を避けた。
こだまからは常人でも分かるほどのオーラが漂っており、触っただけで火傷を負いそうだった。
これぞ恋する乙女の本気モード。
しかし、恋する乙女に障害はつきもの。
そして今まさに、目の前に『障害』が広がっていた。
こだまは多少の障害なら実力で排除するつもりでいた。
でも、この障害は手強そうだった。
目の前に広がっている光景。それは光弾が飛び交い、光柱が乱立する地獄絵図だったからである。
「はぁ、はぁ・・・・・・」
動きを止め、肩で息をするまな。
「我が妹よ、やっと我が『福は内』を受け入れる気になったか!!」
対するれいも手を止める。こちらはまだまだ余裕、という表情だった。
「いいえ・・・まだまだです!まだ10日ほどしか経っていません!!必ず兄さんの中に潜む鬼を外に払ってみせます!!」
「言ってくれるな我が妹!!なら、来るがいい!!!」
まなの全身が輝きだす。
「鬼はぁーーー外ぉーーーー!!!」
何十発もの光弾の雨、というか豆。
「福はぁぁーーーーーー内ぃぃぃぃーーーーー!!!!」
れいもその手から光の柱を大量に地面に突き立てる。
この兄妹にバレンタインデーは存在しなかった。
代わりに彼女たちの間では、まだ節分が続いていた。
こだまは少しだけ考えた。
そして判断した。
これは障害である、と。
こだまは拳に力を込めると、『節分』の中に飛び込んだ。
「わぁ〜〜〜〜〜〜〜☆☆☆☆ありがと〜〜〜ひびきちゃゃ〜〜〜〜〜ん♪♪♪♪」
案の定、えみは思い切り飛び掛ってひびきに抱きついた。
抱きついたというより、乗っかってきたと言った方が良いかもしれない。
「これ、さがしてたんだけどみつからなかってにゃ〜!ってなってたの。ひびきちゃん、だ〜〜〜いすき☆」
猫のように顔を擦り付けてくるえみに、
ひびきは少し困った顔を浮かべるも状態が状態なので逃げることもできず、されるがままになっていた。
でも、こういうのは嫌いじゃなかった。
慣れてしまっただけかもしれないが。
ふと気になって、かずまの方を見る。
かずまは机の中に筆箱を放り込んでいた。そのアルミ製の筆箱は傷とへこみでボロボロであった。
別に使い込んでいるわけではない。と言うより開けた事が滅多に無い。
いつも机の中に放り投げるのでボロボロになっているだけである。
毎朝その筆箱と机の金属板がぶつかる甲高い音を聴くのがこのクラスの日課になっていた。
だが、今日はいつもの違う音が鳴り響いた。
かずまが机の中を覗いて見る。
何かが机の中に入っていた。
取り出してみると、赤いラッピングが施されたハート型のものが出てきた。
妙に重い。
かずまは何のためらいも無くラッピングを破り捨てた。
中から出てきたのは、やけに頑丈そうな金属製の入れ物と一通の手紙。
手紙を開いてみる。
『かずまさまへ
ぶきようなほうほうでしかつたえられませんが、わたしのあいをうけとってください。
あなたをこころからあいするものより』
大きな文字でそれだけ書かれていた。
かなり大きな文字だっただけに、その内容は離れた場所に居たひびきにもしっかりと読めた。
そして、この人はかずまをよく知っている人だ、と思った。
何故なら、かずまは自分の興味が動かない文章の場合、一文字目の漢字が目に入った瞬間に読むことを放棄するからである。
文字が大きいのも同じ理由。小さい文字だと目に入った瞬間に放棄となる。
きっと金属製の入れ物も、毎日かずまが筆箱を投げ入れるのを知っていて頑丈なものを用意したのだろう。
入れ物の中身は、もうひびきには分かっていた。
かずまが蓋を開ける。
中に入っていたのは入れ物と同じ形をしたチョコレート。
それをしばしの間、じ〜〜〜〜〜っと見つめるかずま。
おもむろにチョコを入れ物から取り出し、噛りつく。
一瞬の内にチョコは跡形も無く消え去った。
「・・・・・・」
その光景をひびきは只々見つめていた。
コンビニの袋を持っていた左手に、何故だか分からないが少し力が入っていた。
ちなみに、この日かずまは朝食を食べていなかった。
「はい、今日の授業はこれでおしまいっ!」
なつめが出席簿を教卓に叩きつける。
「あ、、そうそう。学校内へのお菓子類の持込みは禁止なのは皆知ってるわよね。でもお昼ごはんの持込みはOKだから、
各自速やかに『余ったお昼ごはんの受け渡し』を行うように。解散っ!!」
いらんお世話である。
なつめが教室を出て行った後、生徒達は各々行動に移っていた。
買ってきたチョコを机に広げる女子グループ。
背中を丸めて黒い雲を背負いながら帰っていく男子達。
大量のチョコを抱えて、それなりに顔のいい男子にチョコを配って歩くミーハー少女。
何人もの女子に囲まれて半笑いを浮かべるサッカー部キャプテン。
そわそわしながら足早に帰っていくメガネっ娘。
周りの目を無視してイチャつくバカップル。
朝の内にチョコを友達に渡してしまったひびきは、特にいつもと変わりない下校準備をしていた。
机の横にぶら下げたコンビニの袋に目がとまる。
「・・・・・・」
それを引っ掴んで鞄に押し込むと、えみの席へと歩いていく。
「じゃ、帰ろっか、えみちゃん」
「うん、はやくかえっておこたでぬくぬくする〜〜☆」
えみと共に教室を出る時、ふと気になってかずまの方を見てみる。
爆睡していた。
ひびきは溜息を1つすると、教室を後にした。
−よくよく考えれば、初めから渡すつもりなら最初に隠れずに渡せば良かったじゃない・・・
延々と続く並木道を歩きながら、ひびきはモヤモヤと考え事をしていた。
−つい、いつもの癖で隠れちゃって・・・って、もっとよく考えれば別にあんなやつに渡す必要なんて・・・
「ひびきちゃん?」
「きゃあ!!?」
ほぼゼロ距離で顔を覗き込んでいたえみに気づき、声をあげる。
「どうしたのひびきちゃん?おなかいたいの?」
「だ、大丈夫。ほら、元気元気!」
そう言って笑顔をつくるひびき。
「それじゃ〜あんしんだね♪はやくかえろっ☆」
えみが枯木の間を駆け出していく。
「・・・ふぅ。あんなやつのこと、悩むだけ損よね、うん。待ってよ、えみちゃん!!」
ひびきもそれに続いて駆け出した。
こだまは走っていた。
その頬にはウサギがプリントされた絆創膏が1枚張られていた。
どうやら『障害』は突破できたらしい。
だが、思いのほか時間をかけてしまった。
ケータイの時計を見る。
「今ぐらいなら、みづきさんの屋台の前に居る頃かな・・・まだ間に合う!!」
こだまは更に加速した。
彼女の足は地面をひん曲げた。
彼女の腕は風をリボンのように裂いた。
その速さは人類の限界に挑戦していた。
だから、スーパーマーケットから出てきたその少女が如何に優れた反射神経、運動能力を持っていたとしても少女に回避の術はなかった。
派手に弾き飛ばされる灰色の髪の少女。
高々と宙に浮くも、地面の叩きつけられる前に受身を取って着地する。
少女は自分を弾いた者を確認するより先に、自分の荷物を確認した。
辺り一面に大量のチョコレートプリンが散らばっていた。
特売の品を全て買い占めた。
だが、全部ぐしゃぐしゃになってしまった。
少女・・・まやの手には、いつの間にかトンファーが握られていた。
その日、人類の最速記録は2度更新された。
「うぃっすお二人さん。本日限定チョコレートタコヤキはどうや?」
「遠慮しときます」
爽やかな笑顔で会話は終結した。
「8こいりをおねが〜い♪」
「まいどおおきに〜!」
「食べるのえみちゃん!!?」
ひびきの爽やかな笑顔は即座に崩れ去った。
「だってげんていっていってるしぃ・・・」
「ふふふ、日本人は『限定』と言う言葉に弱い作戦、大成功や!!」
「・・・はぁ」
「おっと、ひびき。今回の新作をそんじょそこらのチョコレート菓子と一緒にしてもらったら困るで」
「何かあるの?」
期待せずに訊いてみた。
「『タコヤキチョコレート』やのうて『チョコレートタコヤキ』。つまりベースはタコヤキの方なんや!!!」
熱く語るみづき。
期待しなくて良かった。
「それはどちらかと言うとマイナスでは?」
手に木刀を抱えた少女がツッコミを入れる。
「う〜ん、相変わらずキッツいツッコミやなぁ、あやせぇ・・・」
「あ、あやせちゃん。こんにちわ〜」
「こんにちにゃ〜☆」
「ごきげんよう、ひびきさん、えみさん。それとみづきさん」
「ウチはオマケかい・・・」
「まぁまぁ。それよりあやせちゃん、今日はお姉さんは居ないの?」
「今日はここで姉と待ち合わせをしているんです。今日の練習は長引きそう、との事なので」
「そうなんだ・・・ん?」
ひびきは、ある違和感に気づいた。
木刀の色がいつもと違う。
木刀を持ち歩いていることについては何の疑問を持たなくなっていたが。
「あやせちゃん、木刀替えた?」
あやせが木刀をスッと前に出してみせる。
「いいえ。これは姉へプレゼントする、1/1サイズ木刀チョコレートです。木目まで再現した至高の一品ですよ」
そんなものに至高を求めなくていい。
「包まんで持ち歩くのは不衛生やで」
そういう問題では無い。
「大丈夫、薄くラップをコーティングしていますので」
ひびきは心の中でツッコミを入れるのを止めた。
「そっか。・・・あ、そういやそろそろ、かなっちゃんがバイトに来る頃やな。じゃあまどかもそろそろ来るやろ」
「なんでそーなるの?」
えみが尋ねる。
「すぐに分かるわ。・・・ほら、来おった」
そう言って空を見上げるみづき。
他の3人もそれに続く。
『何か』が、こちらに向かって飛んでくる。
それは地面に『着弾』した後、数メートルにわたって地面をえぐって停止した。
「ふぅぅぅ・・・着地成功、っと・・・」
「よ、お疲れさん」
「今からまた働かないといけないけどね」
『着弾した何か』・・・もとい、かなは服の埃を軽くはたくとポケットから畳んだエプロンを取り出し、手早く身に着けた。
あまりにも常軌を逸した状況に何からツッコめばいいか分からなかったが
とりあえず、ひびきはかなに質問した。
「今の、何・・・?」
「あ・・・いや、大したことじゃないんだけど」
ひびきはちらりと横目で焦げて煙を上げている、えぐれた地面を見た。
『これ』は大したことでは無いらしい。
「ここのバイトの前にやってるスポーツジムのバイトで、思い切りジャイアントスイングで投げられて
ここまで飛ばされたってだけ。まぁ、移動時間の短縮になるから別にいいかな、と」
「ジャイスで正確に狙った方向に飛ばせるのは、流石まどかやな。
目を回さずにしっかり着地したかなっちゃんも中々のもんや」
「距離があったから、空中で平衡感覚は取り戻せたよ」
かなは喋りながらも既に屋台の内側で準備を始めていた。
「ねぇねぇ、そのじゃいすってのがあれば、おそらをとべるの?えみもとんでみたい〜♪」
「やめといた方が良いと思うよ、えみちゃん・・・」
常識という言葉の定義が揺らぎつつも、ひびきは何とかそれだけ言った。
と。
「ごめんなさいですぅ〜〜〜、だいじょーぶですかかなちゃ〜〜〜ん!!?」
まどかが走ってきた。
「大丈夫、今日はちゃんと着地できたから」
「それは良かったですよ〜☆」
それで良いらしい。
両者が合意しているのだから、きっと良いのだろう。
ひびきはえぐれた地面を見ながら自分にそう言い聞かせた。
「お待ちしておりました、姉さん」
あやせが姉の方へ歩いていく。
「あ、あやせちゃん。お待たせです〜」
「姉さん。これはいつもの感謝の気持ちです。受け取ってください」
そう言って木刀チョコを差し出すあやせ。
「わぁ!おっきいチョコですね〜♪じゃあ、こっちもお返しですよー」
まどかが懐から何やら取り出す。
真っ黒なゴングだった。
「ゴング型チョコ、ちゃんと叩くとカーンって鳴るんですよ〜♪」
「まぁ、それは素晴らしいですわね。ありがとうございます、姉さん」
表情こそ変わらなかったが、あやせは心から喜んでいるようだった。
−もう、いいか。
ひびきはそれを終着点とした。
−ほ、チョコは死守できたみたい。これならまだいける!!
第2の障害を切り抜けたこだまの顔は、戦場で屍の上を駆け抜ける兵士のそれであった。
実際、駆け抜けていたのだが。
その手には、命よりも大事なチョコが握られていた。
このチョコには愛情と一緒に、とても口に出して言えないようなものが沢山入っている。
これを渡すことこそが、先輩への愛の証明である。
そう信じて、再び走り出すこだま。
その姿をビルの屋上の隅に座って見つめる、夜の帳の如き深い色のリボンをつけた少女。
「あの子、凄いんだ。遊んでくれるかな・・・」
「ちょっとそこの暴走っ娘、停まりなさい!!」
駆けるこだまの後ろを、巫女服姿の少女が追いかける。
「街を荒らしている人外の者って、あなたの事?除霊を頼まれたんだけど、ひょっとしてロケット婆でも取り付いてるの?」
ゆうかの声は、こだまの耳に届いていなかった。
速度が速過ぎて風の音で声など掻き消されているのである。
「ん〜、やっぱ聞こえてないか。じゃ、実力行使で・・・あ」
巨大な闇の力を感じて正面を向く。
遥か先に、小さな人影が見えた。
人影は小さかったが、そこから漏れている邪気はビルよりも大きかった。
「こりゃ先にこっちを何とかしないと無理か・・・てぇい!!!」
前方の人影に向かって雷を纏った護符を投げつける。
少女はニヤリと口元を歪ませた。
次の瞬間、黒い『龍』が符とゆうかを飲み込んだ。
「あらーーーーー!!!??」
全力で走り続けていたゆうかは回避動作に移ることもできずに、走ってきた速さの倍の速度で来た道を戻されていった。
「ごっめーん、後はよろしくねロケット婆さ〜ん♪」
結構元気そうではあった。
こだまは考えた。
そして決断した。
これは障害である、と。
こだまは掌に巨大な気の塊を練ると、邪気の中に飛び込んだ。
えみ達と分かれて、ひびきは1人家路に着いていた。
なんだか物凄く疲れていた。
でも、悪くない疲労感。
「あ、ひびきちゃん。こんばんわ〜☆」
−今度は誰だろう・・・
少しうつむいていた顔を上げると、そこにはサヤが立っていた。
「サヤ先生。先生の家ってこっちでしたっけ?」
「ううん、ケーキ作りの材料を買おうと思って。今日の晩ごはんのデザートは特製チョコレートケーキなのだ〜☆」
初めてまともな意見を聞けて、ひびきは色々と安心した。
「それをくまさんと半分こして食べるの♪」
その部分は聞かなかったことにした。
「それじゃ〜先生はこれで・・・あ、思い出した。ひびきちゃん、かずま君知らない?」
「え?知りませんけど・・・」
「そぉ?家庭科の課題、まだ出てないから貰おうと思ったら教室に居なくってさ〜。
なつめちゃん、かずまなら教室で寝てるって言ってたのに〜」
「そうなんですか・・・道場の方に居たら、言っておきますね」
「お願いね〜☆そんじゃあ〜〜♪」
サヤはクマのぬいぐるみをブンブン振り回しながら去っていった。
小さい声でクマが「ががぉ、がぉががおがお〜(やめろ、目が回るだろ)」と言っていた様に聞こえたのは
多分ひびきの幻聴だろう。きっと疲れているのだろう。
「見つけたぞひびきぃーーーーー!!!!!!」
自宅の道場前に、かずまは居た。
どこをどう歩いてきたのか、先に到着していたらしい。
昼間たっぷり寝ておいたので全開である。
「さぁ、今日こそ決着をつ・・・」
そのセリフが言い終わる前に、ひびきはかずまの懐に潜り込んでいた。
右の拳を腹部の数ミリ手前で止める。
「・・・はい、決まり。本気で打ってたら今ので終わってたでしょ?」
「て・・・テメェ!!ふざけんじゃ・・・」
「はい」
かずまの額に、左手に持った紙包みをトンっと当てる。
「チョコレート。これあげるから、せめて今日くらいはゆっくりさせてくれる?」
「え・・・あ・・・うん・・・」
条件反射のように差し出されたチョコを受け取るかずま。
心なしか顔が赤い。
「じゃあね。あ、サヤ先生の課題、ちゃんと出しなさいよ」
道場に入ろうとするひびき。
「・・・あ、おい!!」
「何?」
「えと・・・あ、あんがとよ!!」
「どういたしまして」
ひびきは小さく笑った。
やっと心の中がスッキリした。
手強かった。
本当に強かった。
もうダメかと何度も思った。
しかし今。こだまは立っていた。
最大の障害は取り除かれたのだ。
おかげで街の地図がちょこっと変わってしまうことになったが、そんなことは小さなことである。
今頃ひびきは道場に帰っている時間だろう。
私も帰ろう。
そう自分に言い聞かせた。
足が動かない。
立っているのが限界のようだ。
「・・・こんなところで・・・・・・」
こだまから『何か』が漏れ出す。
「諦められるもんくぅわぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!!!!!!」
先ほど排除した『障害』よりも巨大な気の柱がこだまから放出される。
気の柱は、日本の地形を変化させながら一直線に片桐流拳術道場に向かっていく。
気の柱が唐突に消えた。
こだまがやっとの思いで見つけた、ひびき先輩。
が、自分の一番苦手なかずま先輩にチョコをあげているところに遭遇した。
こだまは燃え尽きた。
雪が降ってきた。
こだまは真っ白になった。文字通り。
「・・・?おい、こだま。そんなところで何してやがる?」
かずまが気づいて、よせばいいのにこだまに近づいた。
こだまの目は、人の、いやこの世の者の『それ』では無かった。
翌日。片桐流拳術道場の向かいには広大な雪原が広がっていたと言う。
Fin
かずまさん、あんなに美味しそうに私のチョコ食べてくれてたなぁ・・・うふふ、作戦成功♪」
イクエは笑顔で日記をつけていた。
時に片桐流拳術道場前荒原ができる5分前の話である。
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